前にも書いたように
おばさんの家

海が目の前なので 引き波ですべて持っていかれてしまい
庭にあった大きな庭石1つ 居間の床板と基礎しかないそうです
おじさんが育てていた山野草

おじさんは漁師を数年前に漁師をやめていたので 船は小さな小舟

それも流されてしまったのでしょう

今は息子さんの家に避難しているのですが おばさんは夕方になると やっぱり悲しくなる

そうすると おじさんに 命があっただけでもありがたいと思わなきゃダメだって
励まされるんだって
おじさんの方が落ち込んでいるかと思ったら おばさんの方が落ち込んでいるようです
また遊びに来たら また泊めてあげようと思っていたのに・・・
家が無くなっちゃったよ と おばさん
たぶん もう同じ場所には住めないんだって 海に近い場所には家は建てられない事になりそうだって
どこかに娘とおじさんおばさん 3人で住む家を建てたいなぁ・・・
と言っていました
でも 元にあった土地がどうなるか?も決まっていないし なにも決まっていないから なにもしない できない間に1カ月・・・2か月・・・と過ぎていってしまいそうで・・・と おばさん
避難している人みな 先が見えない そういう気持ちなんだろうなぁ・・・
と思いました
おばさんに 「また美味しいお茶菓子を送るから」と 「今度 顔を見に行くから」 と言い 電話を切りました
頑張って・・・と言っても他人事のように聞こえるし 何も言えなかったなぁ・・・

落ち着いた頃に渡せるように 家にある おばさんたちの家族の写真をまとめておいてあげようと思いました
おまけ 懐かしのミルクさん(享年17歳)
玄関にて お出迎えとお見送りが仕事でした
実家に帰ると 今でも 玄関で待っていてくれそうな気がします

この記事へのコメント
ひじ丸
PC、いろいろご心配いただきありがとうございました。まだパパ密かにがんばっています。何か対策があるのかな。
ミルクちゃんのこと今知りました。あまりご訪問できなくてごめんなさい・・ そうだったんですね、亡くなってしまったのですか・・ うちのひじきは16歳。ミルク先輩いたからまだまだ、と思っていました。すごく残念です。17年もかわいがってもらえてミルクちゃん幸せですね。
にむトラ
TVで復興構想図というのを観たのですが、海沿いには漁業のオフィスビルを何棟か立てて津波が来たときは上階に避難するという風にし、民家は少し離れた高台に建てるといった感じでした。
もしそれが実現化されるとしてもかなりの時間がかかります。その前に色々とトラブルも出てくるでしょうし、被災者の心の問題もありますしね。
1日も早く叔母様の気持ちが安定するといいですね。
お写真をお渡しするのはいいかもしれません。
絶対喜びますよ
みるしっぽ
コメントありがとうございます
私の親戚で亡くなった方はいませんでした
でも家を失うって悲しい事です 周りを探しても思い出の品もなかったそうです
漁師をして建てた家ですから おじさんも本当は辛いんだと思います
何もできないけど 話し相手くらいは出来るので応援していきたいと思っています
パソコンの写真戻せるといいですね
ミルク 最後を看取る事が出来て良かったです
ひじきちゃんの可愛さに惹かれて 毎回 ブログを拝見させていただいています
やっぱり16歳には見えませんね~
レディーだから年齢は内緒の方がいいかもしれませんね
ミルクもたまにブログに載せようと思っていますので よろしくお願いします
みるしっぽ
コメントありがとうございます
おばさんの家は海が目の前で 万石浦と言う巾着袋のような形の湾のちょうど入り口で 外海と面しているので たぶんもう建てられないでしょう
今は何も決まっていないので 何もできないけど 話し相手くらいは出来るので 応援していきたいなぁと思っています
毎年行っていたので 写真はまとめるのが大変なくらいたくさんあります
頑張って探してみます
タフィー104
でも家の事、これからの事・・いろんな問題がありますね。みるしっぽさんのところに、思い出が沢山あってよかったです。
きっと喜びますね。
元気が凄く出ることだと思います^^
俊太郎
僕ら西日本の者が感じる思いです。安易に「頑張って」と言いづらいですが… でも、やっぱりがんばってくださいね。
復興には時間がかかるでしょうね。
でも、大切なことは、仮設住宅であっても仮の宿であっても、「心の拠り所」を早くたくさん積み上げることだと思います。
みるしっぽさんが用意している写真とか、様々な過去の思い出、そしてこれから積み上げていく新しい思い出を、家族や仲間たちで一緒に積み上げていく精神的な努力こそが、「ここが我が家」といえる場所を作るんじゃないかと思います。
家って何でしょう? それをずっと考えていました。
僕には家も家族もありません。 が、思い出があるので、支えになっています。家族の思い出が染み付いたものがあれば、そこが「家」です。
思い出作りは大切です。
行けるようになったら、遊びに行ってあげてください。
みるしっぽ
コメントありがとうございます
津波で残ったがれきを片付けるのも大変な作業ですが 片付ける物が何もないっていうのも とてもつらいと思います
写真 喜んでもらえる日が来る事を祈っています
みるしっぽ
コメントありがとうございます
何にも思い出の品が無くなってしまったというのは 辛いことだと思います
今は写真を見てもきっと辛いだろうから もう少し落ち着いて来た頃に渡したいと思っています
喜んで見てもらえる日が来る事を祈っています
その頃には きっと おばさんたちにも新しい幸せな思い出が出来ていると思います
ピエールのパパ
思いやりのあるコメントを見ると元気が出ます!
この思いを被災地の方々にも伝えられればと思います。
みるしっぽ
コメントありがとうございます
そうですね~
ブログでしか知らない私と私の親戚の心配をしてくださり ありがとうございます
yasu
精一杯頑張っているのに、頑張ってって言えませんよね!みるしっぽさんのお気持も辛いでしょうね!
思い出の品を送ってあげるのは、きっと励みになるはずです。力になってあげてくださいね。
時間はかかるかもしれないけど、心の痛みが少しでも和らぐ事が出来ますように。
みるしっぽ
コメントありがとうございます
私の親類は幸い 亡くなった人がいませんでした
でもおじさん おばさん 辛いと思います
地震が起きている間に 戸締りもせずに逃げ出したのですから 当然 何も持ち出す暇もなく・・・
今はまだ写真を渡すのは早いかな~と思うので まとめておこうと思います
喜んで見てもらえる日が来るといいなと思っています