祖父と戦争  その2

祖父が戦争へ行った時の話です

興味のある方は 読んでくださると 嬉しいです

前回の話で 祖父が召集された話をしました 
(前回の記事は こちら→「祖父と戦争」について)




祖父が戦争に行った期間は とても短いものでした

そこで何があったのか 多くを語りませんでした

なので 少しだけ・・・



訓練を終え 戦地へ派遣が決まった日に撮った写真
(昭和14年7月22日撮影)
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祖父は歩兵部隊の機関銃隊に配属されました

馬が機関銃や荷物を運んでいたそうです

まだ 戦闘経験もないうちは弾が飛んでくると怖くて みな 馬の陰に隠れたそうです

そうすると 上官たちは

『おまえらは 1銭5厘の赤紙で召集されてきた 馬と機関銃は 天皇陛下からの賜り物で もっと金がかかっている』 と 言ったそうです


特に馬は戦地に連れてくるまでに すごくお金がかかったらしいです


馬も生き物ですから 命あるものは大事です

人間の命は尊いものではなかった時代でした






ある時 その馬が クリーク(沼地)にはまってしまい

どうしても抜けだせなくなった事があり


その時 祖父とYさんが クリークに飛び込み 

馬の脚を抱え持ち上げ馬を救い出したそうです


その時は 夢中で クリークへ飛び込み 馬を救い出した祖父でしたが その後が大変だったというのです

全身泥まみれでびしょ濡れ 夜になると氷点下になるなか野宿です

袖が凍り ガタガタ震えながら 一夜を過ごしたそうです





その後 普通 どんなに優秀な人でも早くて9カ月で

上等兵になるそうなんですが 祖父とYさんは

この事件により大事な馬を救ったとして 6か月と10日で上等兵になりました

昭和15年1月のことでした(その時の写真)
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上等兵になったのは良かったのだが このことにより先輩の兵隊で

なかなか上等兵になれない者に いじめられることになったそうです







この頃は 戦況が劣勢ではなく 時々お菓子や煙草の配給があり 

たばこを吸わない者は 吸う人とお菓子と煙草を交換したりしていたそうです



祖父の同僚は もったいなくてお菓子を食べられないと取っておいたのですが

ある時 赤痢かマラリアかの病気にかかり 全く物が食べられなくなったそうです

その時 祖父にその同僚が

『○○(祖父の名前) 美味い物は食べられる時に 食べておくんだったなぁ…』と言ったそうです

そうして 彼は涙を流していたそうで そののち亡くなったそうです

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その頃 祖父の両親は 田舎の何でも屋のほか

小料理屋のようなものをしていて夕方になると 

仕事を終えた若者が ご飯を食べに来ていました

その若者たちも 軍隊へ志願して入る者 召集される者がいて

祖父の両親を慕って 軍隊へ入った時の写真を置いていったそうです



祖父の家には その時の写真が残っています

写真の裏には 祖父の両親へあてた詩などが書かれていました






その時に貰ったのか?誰から貰ったのか 分かりませんが

お猪口がたくさんあります

『 凱旋記念 』と書いてある物が 写真のほかにも いくつかあり

誰か無事に帰って来た人から貰ったものだと思います
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無事に帰って来た者 帰ってこれなかった者

祖父の両親は その写真をとても大切にしていました





次回へ 続きます・・・



私的なものなので 気持ち玉&コメント欄を閉じさせていただきました

いつも気持玉&コメント ありがとうございます