(前回のブログは こちら→「祖父と戦争 その2」について)
ここからは 祖父が私に語ってくれた話と 叔母が祖父から聞き取りをした話などを 書いていきたいと思います
祖父は召集される前 高等小学を出てから 魚屋で小僧(丁稚奉公)をしていました
そのため戦地に行って しばらくすると
前の中隊長のK当番兵から 「○○(祖父の事)は 魚屋をしていたんだから、俺の後を 当番兵をやれ」と言われました
中隊長の当番兵として、3度の食事と洗濯、身のまわりの世話をすべてすることとなりました
食事は 中隊長から お金をもらい 町に特別のおかずを買いに行ったそうです
川魚が多く 煮魚などを作ったそうで 魚屋の小僧時代の料理の経験が役に立ち 中隊長に喜ばれたそうです
洗濯をしたら アイロンなんてものはないので 乾いてから 中隊長のズボンなどをキレイに伸ばし 自分の寝る布団の下に引きます(うっかり やるのを忘れた事もあったそうですが…)
それで 寝ると シワが綺麗にのびて 形のいいズボンになるそうです
上等兵になると 衛兵司令(門番の長)をしたそうです
歩哨係1人、その部下に衛兵係3人で 城門の門番の仕事をします
町には、城壁があり、城門が4つあったそうで 1週間、城壁の当番をしたそうです
城門が家になっていて、そこに寝泊りして 中国の警察と兵隊が3~4人、一緒に城門の警備をしたそうです
祖父のいた部隊の I連隊長(左側) Y大隊長(右側)
ある討伐において・・・と書かれた写真がありました
たぶん写っているのは祖父でしょう
写真なんて撮っている余裕はないでしょうから 訓練風景なのかもしれません
何故 こんなに写真が残っているのか?祖父がいない今となっては 分からないです
やはり まだ戦争が劣勢ではなかったということが影響しているのかもしれません
いつになるか 分かりませんが 次回へ続きます
私的なものなので 気持玉&コメント欄は 閉じさせていただきました
いつも たくさんの気持玉&コメント ありがとうございます
