祖父 祖母と戦争 その9

祖父の事ばかり書いてきましたが・・・
(前回のブログはこちら→「祖父と戦争 その8」について)

その頃 祖母は 東京の麹町にあるお屋敷でお手伝いをしていました(昔の日本テレビがあった辺りの場所と祖母が言っていました)


祖母がお手伝いをしていた家は 娘夫婦が銀行の支店長でした

中国の支店へ転勤になったため 祖母がその両親たちの

身の回りのお世話をするために勤めていました


お屋敷の周りでは同じような大きな家がありました

戦争が激しくなるとともに 隣の家では 毎朝

避難訓練をしていたそうです




そうして 祖母は東京で

3月10日の東京大空襲を経験することになりました





被害が酷かったのは 東京の下町の方でしたが・・・

麹町界隈にも 爆撃機が飛んできたので 慌てて家から出て

四谷公園の方へ みなで 走って逃げたそうです




祖母が言っていたのですが

この時 四谷公園の方へ逃げなかったら

火事に巻き込まれて 死んでいただろうと言っていました



たまたま 家から出て そちらの方向へ

走って逃げたので良かったと言っていました





あとから 分かった事ですが

祖母のいたお屋敷に広い所なら安全だと思った人が逃げ込み

火災旋風に巻き込まれ 何人も死んでいたそうです





焼け出された祖母たちは

お屋敷のご主人の親戚がいる三軒茶屋まで

歩いて行くことになりました



青山通りを歩く祖母たちの周りには 黒焦げになって焼け死んだ

たくさんの人が道路に転がっていたそうです



祖母が一番よく覚えているのは赤ちゃんを抱いたお母さんだそうです

黒焦げになりながらも しっかりと赤ちゃんを抱きしめていたそうです






祖母たちは三軒茶屋の家まで たどり着きました

2~3日して このまま 東京にいては危ないし

家族も心配しているだろうから 埼玉の実家へ帰りなさいと

ご主人たちに言われ 祖母は 埼玉の実家へ帰ることになりました



祖母の実家は 東武東上線を使って東京へ出るのですが

大空襲により 東武東上線は焼けてしまい 走っていなかったそうです



仕方なく 中央線~八高線周りで 帰ることになった 祖母



お屋敷の奥様が雨が降るといけないからと持っていた日傘(雨晴れ兼用)を持たせてくれたそうです


中央線沿線も ほとんどが焼け野原と化していたそうで

怖い思いをしながら電車に乗っていると


突然 高円寺の駅で 空襲警報が!!


慌てて電車から降り 近くの防空壕へ




その時は 爆撃に合わずに済んだそうですが

せっかく お屋敷の奥様が持たせてくれた傘を

電車の中に忘れてしまい無くしてしまったそうです



それから また 電車に乗り 八王子まで来たところ・・・


八王子はこの時まで まだ空襲の被害を受けておらず

いつもと変わらない町並みを見て

祖母は 「あぁ~助かった!!」と涙が出たそうです





その後 その年の8月2日に八王子は空襲を受け大きな被害があったそうです




そうして 祖母は 実家へと帰ったそうです




祖母の村には 東京から親類を頼って

疎開してくる者がたくさんいました

個人の家では大変なので お寺に疎開者を集めて

住まわせることにしたそうです

田舎なので畑もあり 食べ物はみなで協力して

やりくりをしていたそうです



それから 月日は流れ

終戦の年 昭和20年 8月14日~15日に変わる深夜

熊谷が空襲にあったのです



祖母の実家は 熊谷から 約20キロくらい離れているのですが・・

熊谷方面の夜空を見ると 真っ赤に燃えているのが分かったそうです

夜なのに 昼間のように明るかったそうです


そして 終戦の日を迎えたのでした





戦時蓄財債券です
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祖父の家に 他にも数枚あるのですが お金が戻ってきた形跡はありませんでした
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ただの紙切れですね・・・



長くなりましたが 最後まで読んでくださり ありがとうございます



次回は 終戦の日から 戦後について・・・です

また 更新は いつになるか分かりませんが お付き合いください



私的なものなので 気持玉&コメント欄は閉じさせていただきました

いつも気持玉&コメントありがとうございます

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