祖父と戦争

私の父方の祖父は 日中戦争へ召集されました

祖父は たくさんではないけれど 戦争の話を話してくれました

覚えている事だけ 書き残しておこうと思います

私的なものですが 興味のある方は 読んでくださると 嬉しいです





祖父は 大正7年生まれです

もう亡くなってしまいましたが 生きていれば93歳かな??


祖父に 昭和14年 5月 召集令状が届きました

出征記念に撮った写真です
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左から 祖父の父 祖父 祖父の母  2番目の妹  一番下の妹です



祖父の父は明治生まれの人で 身長が180cmくらいあります

当時しては かなりの大男だったそうです



顔を隠してしまったので 写真から表情が分かりませんが

祖父の両親は とても悲しそうな顔をしているように見えます






祖父の一番下の妹は この時 17歳くらいで

駅から出征する軍人さんを送り出す鼓笛隊で

小太鼓を演奏したりしていたそうです




祖父の話によると

こうして 大々的に写真まで撮って送りだされる人は まだ幸せなで

戦争末期には召集されると 大工さんは大工の仕事着のまま

それぞれの仕事着のまま 夕方にこっそりっていう言い方も変ですが・・・ 

軍隊へ集まることとされたようです




祖父は日中戦争で まだ日本が劣勢ではなかった頃なので

派手に送りだされ 写真も残っています

祖父が出征する時に 親戚や勤め先の人から

頂いたものなどを書きとめておいた帳簿です
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祖父の父が記録として 残したものだと思います

勝男武士○○出入帳と書いてありました(○○は祖父の名前です)

中には 誰から何を貰ったとか 何をお返ししたとか 書いてありました


お国のために戦うという事で お祝いだったのですね

でも そうしてたくさんの命が失われた事を忘れてはいけないのだと

思いました





そして 一緒に持たされた物が コレです

千人針です
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私は祖父が亡くなった後 遺品を整理していて 初めて見ました

祖父の妹は まだ元気なので 色々と教えてもらいました

女の人が玉留めをして 日の丸の形に作るそうなんです
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普通はひとり1個なのですが 寅年生まれの女の人は 何個でも作っていいそうです

(Wikipediaには 寅年の人は歳の数って書いてあります)

弾よけのお守りとして 戦地に持っていったものだそうです

祖父の千人針も ところどころに 血のようなシミがありました




次回へ(次回はいつになるか?分かりませんが) 続く・・・



私的なものなので コメント欄と気持玉は閉じさせていただきました

いつもコメント&気持玉 ありがとうございます